片方のピアスからもらった「うれしかった部分」

現在「うれしかった案件」が何となく感じ取れ私の毎日ですが、その中から「うれしかった案件」のかけらを拾い集めてみました。

その一つは「これから見つからないとしていたピアスの片側が見つかった。」ということです。

気に入っていたピアスの片側が無くなっていました。気づいたら片方の耳から消えていたのです。「落としたんだな、仕方がない。」としてあきらめていました。
それが半年も経ってひょっこり出てきたのです。

いつも使う袋の介助ポッケの下に入っていました。よもやピアスがきっかりここへ転がり落ちたり、歩いて入っていったりするわけもないので、自分が入れたに違いないのですが、何で、何時入れたのか何一つ諳記にありません。
想像するに、落ちそうになった(ないしは落ちた)ので、とっさに自分で入れたのだと思うけれど、その状況も思い出せません。
これから脳が弱ってきたのかもしれません。諳記があやしくなってきて心から心配です。

ただし心から良かった!
一度離れた家内というまた再会したような、うきうきした一色になりました。あきらめずに待っていた更に片方のピアスという再会させて、ペアで耳に置きました。
「今日はどっかへ出かけようかな♪」
という気分になって、まさか街へ出てみたりました。

「それってただ無くなったものが見つかっただけで、特に何か拾ったわけではないし、長短絶無なんでは...。」
という知り合いがいましたが、それは違う!
しあわせは単純な増やしOffの計算では計れないものです。ピアスがなくなったときのどん底(大仰?)の意気があったからこそ、見つかったらそれより大きな一安心が感じられたのです。
宿命はめり弾性が大切です。谷があるからこそ山中があり、悲しみがあるからこそ一安心があるのだろう...などと考えたぼくでした。

無くしたピアスを発見した結果少々だけど宿命が思えるなんて、これも「うれしかった案件」の一つかな、といった思ったり行なう。株 杉山てつや